スリランカ北中部に広がるアヌラーダプラは、紀元前4世紀頃から約1300年にわたり、政治と仏教の中心として栄えた古代都市です。現在の遺跡地区を訪れると、白く輝く巨大な仏塔、樹齢2000年を超えるとされる聖なる菩提樹、広大な僧院跡、精巧な石彫、さらに古代の人々が築いた池や貯水施設が広い範囲に点在しています。ひとつの王宮や寺院が残っているという規模ではなく、かつて都市そのものが巨大な宗教空間として発展していたことが分かります。
アヌラーダプラが長く繁栄できた理由は、王都として強い政治力を持っていたからだけではありません。スリランカに仏教が伝わった重要な土地となり、王たちは巨大な仏塔や僧院を建設し、乾燥した土地では大規模な貯水池と灌漑設備を整えました。宗教、王権、農業、水利が同じ都市の中で支え合っていたことが、この古代王都を1000年以上存続させた大きな理由だったといえます。1982年には「聖地アヌラーダプラ」として世界文化遺産に登録され、現在もスリランカ仏教の重要な聖地として多くの人が参拝に訪れています。

1300年続いた古代王都
アヌラーダプラは、紀元前4世紀頃にスリランカ最初期の本格的な王都として発展しました。パンドゥカーバヤ王の時代には都市の区画が整えられ、その後の歴代王によって宮殿、寺院、僧院、貯水池などが次々と築かれていきます。スリランカの歴史を見ると、王都は後にポロンナルワ、キャンディなどへ移っていきますが、アヌラーダプラほど長い期間にわたって政治と宗教の中心であり続けた都市は特別な存在です。10世紀末の南インドからの侵攻を契機として王都としての役割を終えるまで、およそ1300年にわたって繁栄しました。
これほど長期間続いた都市だったため、遺跡には異なる時代の建築が重なっています。紀元前に築かれた仏塔がある一方、数百年後に造られた巨大僧院や石造建築も残り、ひとつの時代だけを見て終わる場所ではありません。現在のアヌラーダプラ遺跡地区が広大なのも、その歴史の長さと関係しています。王宮を中心に小さくまとまった古代都市ではなく、巨大な仏塔を核とした僧院がいくつも発展し、その周囲に生活と農業を支える施設が広がりました。現在車で遺跡を巡ると、それぞれの見どころが離れていることに気づきますが、この広さそのものが古代アヌラーダプラの規模を伝えています。

仏教が王都を変えた
アヌラーダプラの歴史を大きく変えたのが、紀元前3世紀の仏教伝来です。当時のデーワーナンピヤ・ティッサ王の時代、インドから仏教が伝えられ、アヌラーダプラはスリランカ仏教の中心となりました。その後、インドからサンガミッター尼僧が菩提樹の分け木を運び、王都に植えたと伝えられています。これが現在も信仰を集めるスリー・マハー菩提樹です。釈迦が悟りを開いたインドのブッダガヤの菩提樹につながる木とされ、植樹された年代が記録に残る樹木として世界でも非常に古いもののひとつです。
この菩提樹が今も生きていることは、アヌラーダプラが単なる遺跡ではないことをよく示しています。白い衣装をまとった参拝者が花を供え、菩提樹の周囲で静かに祈る光景は現在の日常です。古代都市の建物の多くは遺跡となりましたが、信仰そのものは途切れていません。近くにはスリランカ最初期の仏塔とされるトゥーパラーマヤもあり、仏陀の鎖骨の一部を納めるために建立されたと伝えられています。アヌラーダプラでは、歴史的な遺構を観光するというより、2000年以上続いてきた仏教文化の中を歩いていると考えたほうが、この土地の姿に近いと思います。

巨大仏塔が並ぶ理由
アヌラーダプラを象徴するのが、遠くからでも見える巨大な仏塔です。なかでもルワンウェリサーヤは、紀元前2世紀にドゥトゥガムヌ王によって建設が始められたスリランカを代表する仏塔で、現在も純白の大きなドームが強い存在感を見せています。仏塔の周囲では現在も多くの人が祈りを捧げており、観光地であると同時に現役の宗教施設です。夕方になると白い仏塔がやわらかな光を受け、周囲には供花を持った参拝者が集まります。
さらに規模の大きさで知られるのがジェータワナラーマヤです。3世紀頃にマハーセーナ王によって建設され、完成当時の高さは約120mに達したとされます。大量のレンガを積み上げて造られた巨大建築で、古代世界でも屈指の高さを持つ建造物でした。アバヤギリ大塔を中心とするアバヤギリ僧院も大きな勢力を持ち、最盛期には多数の僧侶が暮らしたとされています。アヌラーダプラにこれほど巨大な仏塔がいくつも造られた背景には、仏教への信仰だけでなく、王が寺院や僧院を保護することで自らの権威を示す意味もありました。巨大仏塔の大きさは、当時の王国が持っていた人口、技術、資材、労働力の規模まで伝えているのです。

水が都市を支えた
アヌラーダプラを1000年以上支えたもうひとつの存在が水です。この地域はスリランカの乾燥地帯にあり、年間を通じて安定した雨が降る土地ではありません。そこで古代の王たちは雨季の水を貯め、乾季に農業や生活用水として利用する大規模な水利システムを築きました。紀元前4世紀から3世紀頃にはアバヤ・ウェワが造られ、その後もティッサ・ウェワなど複数の大きな貯水池が建設されています。王都の人口を支えるには、仏塔や宮殿だけでなく、食料を生産する広大な水田と、そこに水を送る仕組みが必要でした。
古代アヌラーダプラの水利技術を見ると、単に大きな池を掘っただけではなかったことが分かります。地形を利用して水を集め、堤防を築き、水路によって農地や都市へ送りました。僧院の内部でも水は細かく管理され、アバヤギリ僧院に残るクッタム・ポクナ、いわゆる双子の池では、石を積み上げた整然とした池と給排水の設備を見ることができます。現在遺跡として見る巨大仏塔の背後には、こうした日常生活を支えた土木技術がありました。宗教都市でありながら、水と農業を計画的に管理する機能を持っていたことが、アヌラーダプラが長期にわたって繁栄できた理由のひとつだと考えられます。

今も生きる聖地
アヌラーダプラを訪れると、古代都市と現在の聖地が同じ場所に存在していることが分かります。ルワンウェリサーヤでは多くの参拝者が祈り、スリー・マハー菩提樹では白い蓮や花を供える人の姿が続きます。その少し先にはレンガ色のジェータワナラーマヤがそびえ、森の中には僧院跡や石柱、ムーンストーン、ガードストーン、クッタム・ポクナなどが残っています。2000年前の遺跡だけが保存されているのではなく、その時代から続く宗教文化が現在の生活の中にも残っているところが、アヌラーダプラの大きな特徴です。
スリランカ旅行でシーギリヤを訪れる人は多いですが、スリランカという国がどのように形成され、なぜ仏教がこれほど深く社会に根付いているのかを知るなら、アヌラーダプラは欠かせません。紀元前から続く王都、釈迦の菩提樹につながる聖なる木、古代世界でも最大級だった巨大仏塔、何千人もの僧侶が暮らした僧院、そして乾燥地帯を豊かな農地へ変えた貯水池が、ひとつの広大な地域に残っています。アヌラーダプラが約1300年もの間栄えた背景には、王の力だけではなく、仏教を中心とした社会と、それを支えた高度な都市計画や水利技術がありました。巨大な仏塔を眺めるだけでもその規模は伝わりますが、菩提樹、僧院、水の施設まで見ていくと、古代スリランカが築いた都市の姿がよりはっきり見えてくると思います。


